1978年(12歳)の時だったかな
当時の私は、仙台市にある西多賀病院に長期入院中でした。
入院中というか、一般の学校には通えなかったためベットスクールと呼ばれるシステムがある病院に入院し、義務教育を受けるために入院していたと言ったほうが正しいかもしれません。
入院したのは、1975年(ベッドスクール時代)
この時は、宮城県立西多賀養護学校が併設され、病院から廊下続きで養護学校に通っていた頃です。
子犬の時の写真はないので、大人になった写真ですが・・・・
名前は「コロ」
これは、以前に兄が飼っていた犬の名前と同じで、私が付けた名前ではありませんでした。
夏休みで長期外泊中だったと思います。
小学2年生から仙台に行っていた私には、近所に友達もいなくて、一ヶ月もある夏休みに何もすることがなくて可愛そうだという母の考えで連れてこられた犬でした。
写真では見る影もありませんが、子犬の時はすごく可愛くて、夏休みの間中、ずっとコロと遊んでいました。
夏休みが終わったら、どこかに連れて行くような予定だったみたいなのですが、一ヶ月ですごく大きくなってしまうので、そんな犬を引き取ってくれる人も見つからずに、そのまま飼うことになってしまったようでした。
何も考えずに連れてこられたコロは、女の子でした。
当時は犬に避妊手術をするなんて到底できることではありませんでした。
それどころか、以前に兄が飼っていたコロは、保健所のある遠くの町に連れて行かれてしまい、迎えに行くことができずにそのまま処分されてしまったというぐらいの時代です。
最初に生まれた子犬を全部処分してしまったところ、コロは何日も気が狂ったように鳴き続け、困り果てた父は、一匹だけ残すことにしたそうで、写真の子犬はその残った一匹でした。
私はというと、外泊して実家に戻ると、子犬がいるので、単純に可愛くて楽しくて、嬉しくて仕方ありませんでした。
子犬があまりに可愛かったもので、父に、次に外泊してくるまで捨てないでくれと言ったところ、父に激怒されましてね。
「子犬を俺がどうしてると思ってるんだ」
「畑の端っこに穴を掘って埋めたり、川に流したり、何日も子犬の声が頭から離れずどんな思いでこんなことをしてると思ってるだ、お前がどうにかしろ!」と
浅はかさに、自分が嫌になりました。
新しい飼い主を探してやれるわけでもなく、本当に馬鹿なことを望んだと思いました。
しかし、そんな話をした数日後に、母犬が死んでしまいます。
写真は、その時に残してもらった子犬です。
母親が死んでしまったので、3匹を箱に入れて、もらってもいいという人のところを回りました。
大きくて、元気な子からもらわれていき、写真の子だけが残りました。
オスを一匹だけなら残してもいいと父から言われていたので、この子は飼ってもらうことにしました。
動きも鈍く、体も小さかったので、「ヌー」と名付けました。
動物に名前をつけるのは初めてのことでしたが、名前を付けるということが、どんなに嬉しいことだったか覚えています。(親からはそんな変な名前と言われましたが・・・)
2週間で病院にもどらなくてはいけなかったので、やりきれない想いはありましたが、父が飼ってくれると言ってくれたことがとても有り難かったです。
ヌーは、この後、14年ぐらい生きてくれました。
その間には、祖母がクモ膜下出血を起こして、犬の面倒を見れる人がいなくなり、他所の家に預かってもらうこともありました。
祖母が自殺したのは私が高1の夏休みの最中でしたが、その時もヌーは私と一緒にそこにいました。
父が事故に遭い、面倒を見れなくなった時は、私の職員宿舎の玄関で過ごしたこともあります。
私は、ほとんど歩けなかったので、散歩に連れて行ってやることもできなかったのですが、施設の子どもたちが、私の代わりに散歩に連れて行ってくれて、中には噛まれる子もいたのですが、問題にされることもなく、皆さんにはとても感謝しました。
私が就職してからは、義姉が面倒を見てくれていたのですが、ご飯を食べなくなってしまったと連絡があり、ドッグフードなら食べるかと思い、柔らかいものを買って行って食べさせたところ、私の手から二粒ほど食べただけで、食べるのをやめてしまいました。
私が帰ってからは、そのまま餌を食べることなく、静かに最期を迎えたそうです。
食べたくもないものを、最期に私の手から食べてくれたことは、ヌーが私に与えてくれた最期の幸せだったと思っています。
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