政治のお話

1998年にアメリカで学んできたこと。

※障害者の自立支援制度を日本で作るための研修


今から23年前になります。

一番のカルチャーショックは「権利意識」の違いでした。

日本の福祉政策の要は、「家族介護」「庶民同士の助け合い」によるものであり、アメリカやスウェーデン、デンマークなどでは、「国の責任」という大きな違いがあることに驚きました。


「優しい国」=日本


この概念は決して間違いではないし、社会通念上悪いことではないことも確かです。

しかし、このことによって大きな弊害が生まれます。


支援を受ける側の人々は、常に受け身で、自分たちの言いたいことをはっきりと口に出して言えませんし、人間的に守りたいと思われるような人格を持っていなければ、誰からも助けられることはないし、相手にもされません。


当時アメリカで受けた研修の一貫性のある教えは、

「自分たちにとって必要なことは、自分たちで考え自分たちで決め、そして、実行する」

このために必要なことは何かを考えて今の組織を作り上げてきたということでした。


あらゆる障害を持つ人々(当時では同性愛者などのマイノリティーも含まれていました)が、それぞれに組織を作り、代表者を決め、選挙権をもつすべての会員に、決められた代議士に投票し、州議会や、国会で意見を通してもらうというものでした。


ここで最初に概念のお話をしておかなければなりません。

「障害」とは、個人の体の機能の問題や、精神的な特性などではなく、その状態(ありのままの姿)で一般的な生活をすることができない「環境」が障がいであると定義されています。

物理的なアクセス環境や、個人の特性を否定するような思想など、あらゆるものがその対象となります。

もちろん、「反社会的なものを除く」ということは言うまでもありません。


政治の話に戻ります。

私が参加した、代表者会議は、23年も前でしたが、テレビ電話を使い、全ての代表者が参加していた会議で、そこには、団体から選出された代議士も居ました。

(視覚、聴覚、下肢、上肢、精神、顔のパーツの欠損、内臓、血液、ありとあらゆる障害や、日常生活に支障があり支援の必要な方々がいました)

それぞれの立場で、要望を読み上げ、前回は〇〇会の要望を提出したので、今回は△△会の要望を優先して議会に要望を出します。といった、代議士と団体とのやり取りがありました。

例えば、視覚障がい者の団体が、点字ブロックを何処々に設置してもらいたいと話をすると、そこは車いすでアクセスする際に点字ブロックがあると移動しにくいので、音声ガイダンスで対応してくださいとか、そういう話もありました。

内容はピンポイントでの具体的な話がほとんどで、曖昧な内容はほとんどありませんでした。


日本では、環境をどうするかという問題を全て代議士に丸投げしているので、思い通りにならないと政治のせいにします。

しかし、本来は、今の社会環境の全てを作っているのは、代議士を選んでいる自分たちであって、代議士が何をやっているのかきちんと管理する体勢を作らない有権者にあるということなんです。


大企業や、資本家の人たちはそのお金を使い、自分たちにとって都合のよい社会にするために代議士を利用しています。

「代議士」という職業は、そのために存在しているのですから、それは当たり前のことと言えます。


一昔前までは、「社会党」という党を、労働者の団体(各会社の労働組合など)が支持し、労働者にとって都合のいい社会を作るために代議士を利用していました。

しかし、この組織は、いつのまにか、一部の代表者にとって都合のいいことしかやらなくなり、会員数が減り、弱体化してしまいました。

(今でも活動は続いていますが)


共産党は、今でも終始一貫しています。

公明党は、反戦や平和活動に重点を置いている創価学会が強く支持していますが、自民党と連立をすることで、海外派兵を認めたり、憲法第9条を変えようとしたり、いつの間にか、創価学会が支持すべき本来の姿を失ってしまっています。

これも、一部の役員に公明党の管理を会員が丸投げしてしまっていることが原因でしょう。


自民党は、資本家や大企業にとって都合がいいように、税制を変えたり、労働条件を変えたりしてきちんと支持団体とって都合がよくなる政治をしているのですから、強くて当たり前だと言えます。


では、それ以外の人たちは、自分たちにとって都合のいい社会を作ってくれる代議士を育てるためにお金を使い、利用できているのでしょうか。


例えば、農業をしている人は、どの政党を支持すれば自分たちにとって都合のいい社会を作ってくれるのでしょう。

有権者の数でみたらすごい力を持っているはずなのに、農業生産者の生活が他の職業の人たちと比べて豊かな生活をしているとは思えません。


団体を作って、代議士を育て、選出しているのでしょうか。

公務員はどうでしょう、

会社員はどうでしょう、

面倒なことはやりたくない、もらったお金は全て自分たちの生活に使いたい。

役にも立たない会にお金を払って参加するのは馬鹿らしい、

(一部の役員に活動を丸投げして、役に立たない会にしているのも自分たちなんです)


貪欲で、欲しいものは欲しいと口に出し、そのための努力を惜しまない人たちだけが、結果的に利益を独占していきます。


何もしなければ、多くの税金を取られ、福祉政策費を削られ、医療費が高くなり、死なない程度に締め付けられていくわけです。


障害者差別解消法の概念も、本来の姿からは捻じ曲げられています。

障がい者自身が権利意識を持つと、主導している代議士が選出してもらえなくなります。

障がい者は、その政策を代議士に丸投げするように仕向けて行かなくてはいかない。

すべて同じです、丸投げ・・・・


もはや「代議士」という単語が当てはまりません。

国民から選ばれてはいますが、投票者の意見は反映されません。

反映されない原因も、投票者の側にあります。

自分が選んだ代議士に、要望も出さなければ、どんな活動をしているのか監視もしていない。

ただ、投票して丸投げです。


そろそろ、目を覚ましてもいいのではないのでしょうか。

もっと、団体を作らないといけないのです。

お金を使い、時間を使い、会を運営し、代議士を選出し、自分たちにとって都合のいい社会を作る努力をしなくてはいけない。


自分たちにとって本当に必要な代議士を育てることが何よりも大切なんです。


障害者差別解消法では、声高々に「合理的配慮」という言葉が使われていますが、これは、障がい者に対する侮辱とも取れます。

必要なのは、他人からの配慮ではなく、自分たちが必要な物を権利を行使することで作り上げて行くことではないのでしょうか。

そのための法律だったはずです。


何もせずに誰かが自分が生きるために都合のいい環境を作ってくれればそんな楽なことはありません。

しかし、それに頼って受け身で生きている限り、助ける側と助けられる側の上下関係が無くなることはなく、平等な社会は永遠に達成できないままでしょう。


せっかく法律を勝ち取ったのに、お願いして配慮してもらうことが必要であるなら、何のために闘ってきたのか分かりません。


こういった考え方をする人間がとても少ない、また、考えていても口にに出す人が少ない日本の社会は、誰にとって都合のいい状態なのか、よくよく考えてもらいたい。

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豪雪地帯の田舎に古い家を買い、うさぎとねこと暮らしています。 主な内容は、ウサギとネコの動画と、病気と付き合ってきた自分史になります。 動画は、Youtubeにアップロードした動画の紹介になります。 ※コメント欄はご自由にご利用ください。

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