「桃太と紡希のひととき」(2020/07/18)

今日は数分長い動画になりました。

いつもの動画ですが、ちょっとだけいつもより

面白いシーンが多いと思います。

よろしければご視聴ください^^

最近は、動画の撮影ができないことが多いいのですが

こんな動画を撮影して、Youtubeに無料で保存しておけるというのは

なんともいい時代ですね。


もともと、写真撮影は大好きだったのですが、一度誰かに褒められると、いい気になって「評価を受けられるような写真」を撮りたくなってしまい、そうこうしているうちに、フィルムカメラが終焉を迎え、デジタルが主流になってくると、「自分の気に入る写真」というもの自体が、どんなものなのかわからなくなり、しばらく写真を撮るのをやめた時期がありました。


リバーサルを使い、フィルムスキャナで一枚ずつ画像をPCに読み込み整理をする。

インターネットで公開する。

当時はフィルムスキャナが25万、PCはMacで30万ぐらいはかかりました。

フォトショップも10万円以上したんじゃなかったかな・・・

バブルの時代とはいえ、サラリーマンだったので、たいして給料もなくて素人がやるには容易でない趣味の部類だったでしょう。

時間も手間もかけて、誰のために、何のために撮っているのかわからないような写真をただ溜め込み、馬鹿らしくなってきた頃にデジタル一眼レフが出てきました。


こうなると、一枚の写真をどう撮るかということを、知識と経験で読んでシャッターを切るということが、もはや無意味に思える時代になりました。


よさそうな風景に出会ったとき、無作為にオートでシャッターを切り続ける。

そうすると、それなりの写真が数枚は撮れている。


自分の知識や経験が、時代の変化で無意味なものに思えてしまうのは、何も写真界に限ったことでもなく、大工さんの技術や、料理人の調味なども、色あせてしまうことがあるとつくづく感じていました。


そんな時、道場六三郎さんのドキュメンタリーがテレビで放映されました。

その映像で衝撃的だったのは、料理人にとっては命の次に大切だと思えるような、膨大なレシピを、庭で燃やしている姿でした。


「こんなものがあると、先に進めない」


そういったニュアンスのことを言っていたと思います。

(正確には覚えていません)


目からうろこといいますか・・・


知識や経験というのは、過去のそれを使い続けるためにあるのではなく、この先に、自分が何を求めるかの道標にしかならない。


そういう意味に私は感じました。


そんなことがあってから、こだわりを捨てて、デジタル一眼レフに手を出しました。

いい写真を撮ることが目的ではなく、ぼやけていく記憶を映像として残すだけでいい。

そう思ったのです。


もうね、何年もの間、何枚写真を撮っても、どんなにいい風景に出会っても、一枚も気に入る写真が撮れませんでした。


でも、それでも構わなかったのです。


老眼になり、ピントも合わせられなくなり、今では見たままの映像がスマホで残せるような時代になりました。

こうなってしまうと、がっかりするより、感謝することのほうが多いです。


生きていると色んなことがありますね。










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うさねこまったり

豪雪地帯の田舎に古い家を買い、うさぎとねこと暮らしています。 主な内容は、ウサギとネコの動画と、病気と付き合ってきた自分史になります。 動画は、Youtubeにアップロードした動画の紹介になります。 ※コメント欄はご自由にご利用ください。

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