病気と私 57 最後の治療

誤字脱字等、その他本文のおかしなところは、随時修正していくつもりです。

お気づきの点などありましたら、どうかコメント欄で教えてください。

よろしくお願いします。


2005年~(38歳)

----- 仙台 -----


退院の前日、リハビリの先生に、またお世話になるかもしれませんと話をしたら、もう今年で定年退職だから、これで最後だなと言われてしまった。


1975年に初めて西多賀病院に入院し、2005年だから、30年間も過ぎていた。

子どもの頃見ていた先生は、今の私よりも若かったのだなと思った。

私が西多賀病院を退院してから、色んなことをしていた間も、先生はここでずっと理学療法士を続けていたのだ。なにか、感慨深いものがある。


先生の理学療法士としての時間軸の中では、自分はほんのわずかな時間しか関わっておらず、おそらくは今日が過ぎれば自分が思いされることなどないだろう。しかし、私の時間軸の中での先生は、忘れられない大きな存在になった。


何度も何度も主治医のS先生には迷惑をかけ、休日だろうが、夜中だろうが朝方だろうが関係なく先生を呼びつけてきた。

私だけではない、西多賀病院で治療を受けていた全ての血友病患者がほとんど同じように先生の世話になっていた。


そのうち先生は自分の携帯電話の番号を患者に教え、最初に自分の所に連絡するようにと言うようになった。

先に病院に連絡を入れられると、人を挟む分情報が正確でなくなる。

時間もロスする。

直接自分に電話をもらえれば、患者の状態を直接知ることができ、病院に正確な指示を出せる。


先生は当初、東北大学病院の小児科の医師だった。

母の話では、インターンが終わったばかりの先生は、注射がとても下手で、私に注射をする時、よく失敗してごめんね、ごめんね、と何度も謝りながら注射をしていたそうだ。


その後、西多賀病院では血友病の子どもを受け入れるようになり、東北各地から大勢の児童が入院し治療を受けるようになった。

通院治療を受けながら一般の学校に通うことになった場合、出血の度に数日間欠席し、血友病性の関節症も進行が酷くなることが誰の目にも明らかだった時代だ。


先生は西多賀病院に勤務するようになり、一人で全ての血友病患者の面倒を見てきた。

私は何度も命を救ってもらい、感謝などという言葉では言い表せない想いが先生にはある。


このブログを書き始めて、母から言われて驚いたことがあった。

私の左目が見えなくなり、二度目の眼科診察ではっきりと「失明」と診断された時。先生は、「やっぱりだめなのか」と言って、母と一緒にポロポロと涙をこぼして泣いていたそうだ。

私は、医師と患者には、明確な温度差があり、患者が思っているほど医師は患者に対して思入れを持たないものだとずっと思ってきた。ましてや、医師の言うことも聞かず、無茶なことばかりしてきたことも自覚していた。

ただ迷惑でしかない患者だと自分のことは思ってきた。

二度目に自転車で大怪我をしたときなど、特にそう思っていた。

しかし、先生はそんなことを全然思っていなかったのだ。


先生については、もう一つだけ書いて置きたいことがある。

多くの血友病患者がHIVに感染し、国立療養所だった西多賀病院は「エイズ診療拠点病院」となった。

小児の頃から、ずっと自分が治療してきた患者が何人もHIVに感染し、病院で命を落とす患者も出てきた。


先生にとっては、自分の人生をかけて診療してきた患者たちだ。

当時は有効な治療薬もなく、何年もかけて少しずつ病状が悪化していく患者達をなすすべなく見続けるしかなかった。


先生は、感染症予防マニュアルを当然熟知いていたが、目の前で患者が吐血して苦しんでいる時に、血に触れることができないからといって着替えるから待っていろなんて言えるわけないじゃないかと言っていた。


先生が、どんな想いで患者を見送ってきたのかと思うと、胸が締め付けられた。


そして、その患者の中には、私の友人もいた。

一緒にドライブに行ったり、カラオケに行ったり、病院を抜け出してラーメンを食べに行ったり、家にも何度か行った。


私はいくつか年上だったこともあり、色んな相談を受けた。

当時付き合っていた女性との悩みは本当に深刻だった。

相手の女性は彼のことを十分すぎるほど理解していたし、それ故になおさら苦しまなければならないことが沢山あった。


彼の家に遊びに行ったとき、母親がこんなことを言っていた。

この子が小さかった時、血友病だと診断されて、何年も生きられないと言われた。

関節内出血があると、火が付いたように泣き出して、おんぶして外に出てていると、今度は自分の手を当てていた膝の裏側から出血があり、自分の子どもなのに何処を触ったらいいのかもわからなくなった。

両手のひらで宙に浮かして、泣きやませようとしても痛い所がよくなるわけもなくこの子は泣き続けていた。

注射もなかったしね。

私はもう、これ以上何もできないというほど、この子の面倒を見てきた、こんなことになってしまって、この先どうなってしまうのかは分からないけど、たとえこの子が自分よりも先に死んだとしても、後悔なんて何一つないのよ、


医師にも、患者にも、患者の家族にもそれぞれの想いがあり、それぞれの人生がある。


1971年に初めて先生に会ってから、34年間、私の主治医としてお世話になった。

私の人生では、親と過ごした期間より長い時間だ。


そして、この治療は、主治医にお世話になる最後の治療となった。



※長い間お付き合いいただきありがとうございました。

時間を作り、また続きを書いていきたいと思っておりますが、ここで一区切りとさせていただきます。




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