病気と私 55 人工股関節置換術

誤字脱字等、その他本文のおかしなところは、随時修正していくつもりです。

お気づきの点などありましたら、どうかコメント欄で教えてください。

よろしくお願いします。


2005年~(38歳)

----- 仙台 -----


東大医科研のT先生の診察のあと、仙台の病院に戻った私は、主治医のS先生と股関節でお世話になっていた整形外科医のO先生に股関節の手術について相談をした。


止血管理をS先生がやってくれるなら、手術自体は可能だということだった。

ただし、血友病という病気を考えた上で、現段階での再手術の難しさもあるし、手術後は車椅子での生活を約束できるなら手術をしてやるという条件付きだった。

従って、足首の手術はあえて行わないということだった。


O先生も、私が小学生の時に西多賀病院に入院した時からずっと私の足関節を診てくれていた医師なので、私という人間を知った上でのその言葉は、なんの遠慮もなく、アドバイスには、何一つ納得のできないようなものはなかった。


術式は、当初セメントは使わないとういう方向だったが、万が一、内出血が起こった場合を考えると、セメントを使って確実に固定したほうがいいということになり、私も先生の話をすべて承諾し、O先生に手術をお願いすることになった。


このことは、福井病院のT先生にも電話で話をさせていただいて、それがベストだと思いますと返事を頂いている。


手術前には自己血輸血のために採血を行い、血液を保存した。

血友病の血なのに、いいのですか?と聞いたのだが、手術中もその後も第Ⅷ因子は補充し続けているので問題ないとのことだった。

(実際には、自己血だけでは間に合わず、一般の輸血も追加で行うことになった)


私にとって一番の懸念材料は、インヒビターの再発であった。

手術を行うことにより、通常では考えられない量の製剤を使用するため、そのことによってインヒビターが発生してしまうと、たとえ手術が無事に済んだとしても、今後の生活は、とても大変な状態になることが想像できた。


このことはS先生も同様に心配していたが、いざとなればバイパス療法も使えるということで、万全の準備を行って手術に挑むことになった。


手術の1週間前から入院し、製剤の効果の確認と、術前の検査が行われた。

術後の関節可動域を良好なものとするため、リハビリも術前から行うことになった。

リハビリの先生も、数年前にお世話になった先生と同じ先生が担当してくれることになった。


C型肝炎が完治しており、肝機能が正常に働いていたことも手術には好条件だった。


東大医科研のT先生は、術後はどんどん歩いてください。そのための手術ですから。

関節が限界を迎えたら、またその時は再手術について考えますから。

そう言っていた。


私は、だいぶ迷っていた。

車椅子での生活がとても長かったし、自分の人生には「歩く」ということが必要なのだろうかと。

O先生が話してくれたように、股関節だけ良くしても、他の関節も変形がひどくなっており、いつ動かなくなってもおかしくない状態であったので、歩くことで、股関節以外の関節が悪化し生活に支障をきたすようになったなら、それぞれの関節を全部手術していくことになるのかなど、様々な事を考えていた。


車椅子での生活を送ることを覚悟はしていたのだが、もし歩くことができるようになった時、自分にはどんな生き方があるのだろうかと、


私の知る限りでは、血友病で人工股関節置換術を受けた人がいたということは聞いたことがなかった。

ヘモフィリア友の会の会長さんだったか誰だったか記憶があいまいなのだが、股関節の固定手術を受けたという人はいた。


以下は母より、

手術の直前に、O先生から手術の詳しい説明を受けた。

親指を内側にして手を握ってくださいと言われて、言われたとおりにしたら、その大きさの物が、手術で股関節に入りますと言われ、あまりの大きさに驚いてしまいその後の話は何も覚えていない。


麻酔の先生との話の時に、痛いのは我慢できるので、術後の追加麻酔はしないでもらいたいと私が言っているのを聞いて、眠ったまま起きられなくなることが、痛いよりも心配なのか、そんなに危ない手術なのかと思った。

あんなに大きなものを入れるのだから、痛くないわけがないのにと思った。


手術直前に、そんな話を色々とされて気が動転してしまい、手術開始から終わりまで4時間ぐらいかかり、その間、ずっと手術室の前の椅子に座って終わるのを待っていたのだが、本当に無事に出てこられるのか信じられなくなり、手術の終了予定時間に主治医が来るまでの間、自分が何をしていたのか全く覚えてない。


また、兄も一緒に来ていたはずなのに、兄がどこに居たかも全然覚えてない。


手術は終了予定時間を過ぎても、何の連絡もないままに時間が過ぎて行った。

主治医は、終了予定時間の少し前に手術室まで来て、時計を見て「もう終ってもいい時間なんだけど」と母の横に立っていた。

先生は、何度も時計をみながら首をかしげていた。

そのうち、何の連絡も来ないことを主治医が心配し始めたので、「もしかしたら、生きて戻ってはこないんじゃないか」とおかしなことを考え始めた。


予定時間より1時間以上も遅れて、手術室から出てきた。


無事に終わったと聞いて、主治医と二人で良かった良かったと、胸をなでおろした。


余談

兄は、私にタラの芽の天ぷらを食べさせたくて、前日に山に入り、タラの芽を沢山採ってきて姉に天ぷらにしてもらってもって来た。

母が言うには、もし手術中に何かあったら、もうタラの芽も食べられなくなるかも知れないので、今年の初物を食べさせてやりたいと言っていたそうだ。

なんだか縁起でもない話ではあるが、兄なら本気でそんなことを言いそうだなと思った。

しかし、手術当日の朝に、食べろと渡されても、絶食中で水も飲めないのに、タラの芽のてんぷらなど食べられるわけがなかった。

兄は、何だよせっかくお前に食わせようと思って昨日山に行って採ってきて、朝早くに天ぷらにしてもらってもって来たのにと、とても不服そうだった。

兄と母は、私の無事を見届けてから、タラの芽のてんぷらを病室に置いて、その日のうちに帰っていった。



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