誤字脱字等、その他本文のおかしなところは、随時修正していくつもりです。
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よろしくお願いします。
※今回の本文には、不適切と思われるような言葉・表現が随所にあります。
関係者の方々もご本人も、不快に思われる方が少なくないと思います。
今回のブログは、そういった方々は読まない方がいいと思います。
何を言われても平気だと言う方だけ、読み進めてください。
1998年(31歳)
----- 福島 -----
福島県海外派遣事業「ふれあいウィング」概要
福島県と、福島県教育委員会が合同で主催した海外派遣事業で、福島県の各地域や県域レベルの障害者福祉のリーダーや実践者を育成する事を目的として行われた。
1998年より始まったこの事業は、ノーマライゼーションの理念に基づく社会づくりの先進地であるアメリカ合衆国のバークレー市を中心に、障がいと共に生きる人と、障がいを持たない人が一緒に訪れ、障がいと共に生きる人の自立の実態とそれを可能にする支援体制、社会制度、教育制度、町づくり等について研修するために始められた事業だった。
2001年には合計75名が研修を終了している。
研修先は、サンフランシスコ市と、バークレー市であった。
私にとって最も重要だった研修先は以下の二つであった。
--- DREDF ---
The Disability Rights Education and Defense Fund.
障がい者の持つ権利がどういうものなのかを教える。
権利を知らなければ、自分が差別を受けているのかどうかも判断できないため、社会に対して自分たちに必要なものが何なのかを訴えることすらできない。
そして、その権利を守るために必要なお金を集めるために作られた組織である。
主な活動内容は、企業との和解である。
地域で暮らす障がいを持つ人が、例えば、車いす利用者でスーパーの入り口に段差があって利用できないという環境にたいして、改善要求をする機関となる。(トイレがないなどの大きな出費を要することも同様に要求を行う)
企業がこれに応えなかった場合には、利用者本人に代わって裁判を起こす。
そして、裁判の主な目的は賠償金の支払い要求ではなく、環境の改善要求である。
--- CIL ---
Center for Independent Living.
障がいを持つ人の自立生活支援センター
ADL法に基づき、障がいを持つ人も、障がいを持たない人と同じことをする権利を有する。
この法律を具体的に実施する機関で、アパートの紹介であたったり、生活環境の改善であったり、個々人に必要なものを整備する支援を行っている。
現在の日本には、障害者差別解消法が施行されているので、自身が望めば、全ての障がいを持つ人は一人で自立した生活を送ることができ、その費用は日本が保障することになっている。
研修の最大の目的は
アメリカのADA法の根幹である
「障がいを持つ人も、障がいを持たない人を同じことする権利を有する」
このことが、あらゆるマイノリティにとって、
それぞれにどう機能させているのかを具体的に知ることであった。
研修生自身は、自分が海外で研修を受けるために、自分にとって何が必要なのかを考え、それを主催者側に要求し、全ての行程に対して問題が起こらないサービスを計画しなくてはならなかった。
主催者側は、交通機関はもとより、研修所の手配、介助者の手配、その他、必要だと言われたことは、全て用意しなくてはならなかった。
私の場合は、自己注射が必要だったので、薬の運搬方法や、飛行機内での製剤の使用、ホテルでの保管方法(製剤は要冷蔵だった)などを確認しなければならなかったし、外傷の際に必要な止血材料と使用方法を同伴する看護師に伝えておかなければならなかった。
他のメンバーもそれは同様であった。聴覚障がい者であれば手話通訳を、車いす利用者であれば、アクセスの確認を、それぞれの疾病や障がいの種類によって、要求するものがそれぞれに違っていた。
研修内容は、テキストでもある程度残してあるが、量が膨大なためここでは省略する。
この研修後、県内各地で報告会が開催され、テレビの取材もそれぞれに行われた。
最も大きな変化は、「障がい者自立支援センター(ILセンター)」が県内各地に設置されたことだ。
社会福祉協議会などでは、我々がやってきたことに不満があるのかという人達もいたが、そんなことは当然だった。
「不満のないサービス」など、どれほど努力しても提供できるものではない。
そんなことも分からないような人たちが仕事をしているのだ、不満がないどころか、そこから退場してもらいたぐらいだった。
そもそも、障がいを持つ人に対するサービス提供者が、健常者のみで構成されていると言うこと自体が間違っているのだ。一人でも多くの障がい者を自立させる。就職を推進するというなら、まず、そこで雇うべきなのだ。
このことは、
「Nothing about us without us!」
「われわれのことを我々抜きで勝手に決めるな!」
とした、障害者権利条約のスローガンに代表されるように、研修を受けて来た人たちにとっては、主張することが当たり前の事であったため、
与えることが当たり前と思って障がい者と関わってきた人たちにとっては、受け入れがたい言葉であったろう。
この研修で得たのは、知識や経験だけではなく、これが「当たり前」だという共通の認識を持つ仲間が、県内全域に一度に沢山現れたことだった。
私自身もカルチャーショックを受け、「権利」を獲得してきた人たちの偉大さ、困難な道のり、またそれを失わないためにやり続けなければならないことなど、多くのことを知ることになった。
研修を受けて来た自分達に課せられたことは、社会通念そのものを変えることだったのだ。
この後、行政機関はもとより、民間施設のバリアフリー化が進み、更には、障がいを持つ人に限らず、全ての人が使いやすい設備を作っていくというユニバーサルデザイン法が施行されていくことになる。
何度も言っていることだが、「心のバリアフリー」という言葉を、はき違えている人があまりにも多すぎる。
これは、国が主導してあえて誤解を誘発するように「優しさ」を強調しているが、障がいを持つ人が、そんなものを欲しがるようでは、根本的にダメなのだ。
人の優しさは、国が啓蒙して受け取れるようなものであってはならない。
優しさが必要な人は、人にやさしくしてもらうだけのことを、他人に返せる人間でなくてはならない。
それが平等というものだ。
障がいの部分は、法律によって保障された権利を行使するだけのことで、人の手が必要ならば、支援する人は、お金で雇われた人間でなくてはならないのだ。
もちろん、友人からの手助けを否定すものではないし、家族支援を否定するものでもない。
ただ、個人を考えたときに、国はそれを家族に押し付けたり、友人や他人の優しさに頼ったりしていいことではない。
それを勘違いして、障がいを持つ人自身までもが、その障がいを理由に、他人からの優しさを求めたりするのは、これはもう根本的に間違っている。
障がいを持つ人は、その障がいの部分(ハンデ)を、自分で国に要求して補ってもらわなくてはならない。
これは権利がそうあるのだから、要求することは義務なのだ。
ただ待っていて何かをやってもらえるのは赤ん坊だけだ。
成人した障がい者であるならば、障がいの部分は社会からきちんと支援を受けられるように要求し、それ以外の人からの支援は、基本的には必要としない状態を作らなくてはならない。
この状態になって初めて、友人とも、家族とも対等な立場で付き合える。
いわゆるスタートラインに立ったことになる。
それが納得できない。友達なんだから自分たちが助けなけばならない。家族なんだから助けて当然だ。などと言う人たちがいたとすれば、恩着せがましいにも程がある。
家族であれば、家族の手を必要としない社会支援の方法を教えなくてはいけないし、友人とも対等に付き合っていけるプライドと、支援方法を教えていかなれけれならない。
欲しいものをだた与えるだけでは、ペットを飼っているのと同じだ。
愛しているのなら、その家族が誰からも憐れみを受けず、障がいを持たない人と同じように生きられる道を本気で教えてやるべきなのだ。
DREDFでの研修では、何度も言われたことだ。
障がいを持つ人に対する教育がとても大切なのだと。
「心のバリアフリー」というのは、
障がいを持たない人であれば、そこにどんな人が居ても、「気にしない」
障がいを持つ人自身であれば、自分がどこに居ようが「気にならない」
お互いに、誰がそこに居ることも当たり前に受け入れられる心こそが、本質だと思う。
相手が誰であれ、両手に荷物を持っている人を見れば、ドアを開けてやりたいと思う人はいるだろう。
その程度の親切心を、国をあげて、しかも「障がい者を限定」して啓蒙するなど、そのこと自体が不自然だと感じないことも問題だし、それを差別だと主張しない障がい者もどうかしていると思う。
国も企業も、障がいを持つ人に金を使いたくないだけなのだ。
家族に面倒をみさせ、そのことを賛美し、金は出さない。
権利を持った人間は、必要なことは口に出して言わなくてはならない。
権利は、守ろうとしなければ、からなず誰かに奪われる。
権利というものの本質が、人によっては都合が良かったり悪かったりするものだからだ。
今ある権利は、自分と同じような立場にいた人たちが、過去において金と時間と、多くの努力捧げてきた結果受けていられる恩恵なのだ。
血友病も同じことだ。
医療費の事も、人権のことも、障害の認定や、年金受給のことも、何の働きかけもせずに国が勝手に支援を始めたなどと思っている人間がいたとするなら、あまりにも考えが甘い。
ヘモフィリア友の会が、団体として何度も何度も申し入れをして、ようやくそれを国が受けて入れてきているだけのことで、恩恵を受けていない血友病患者など一人もいない。
無条件な支援など何一つない、全ては、誰かがそれを要求し続けているから得られている。
大人になると言うことは、その「誰かに自分がなる」ということなのだ。
そして、大人であるなら、そんなことすら分からないほど無知でいてもらっては困るのだ。
人は誰だってやりたいことだけをやって暮らしたい。
それならなおさらのこと、やりたいことがやれている状態を、維持する努力だけは「他人任せにしてはだめだ」といういうことを知らなくてはいけない。
それをやり続けなければ、いつか誰かにその自由は奪われてしまう。
アメリカ人はそれを知っているし、大統領もそのことを承知している。
労働組合がいい加減な活動をするなどありえないし、大統領が労働組合の意見を無視するなどありえない。
障がいを持つ人の団体も待ったく同じことで、その活動に手を抜くなどありえないし、またその活動をないがしろにする政治家もいない。
何故なら、組合は組合員が選んだ政治家を立てているし、障がいを持つ人の団体は、障がいを持つ人の団体が選んだ政治家を立てているからだ。
意に反する行動をとれば、別な政治家を立てるだけのことなので、お互いの関係がくずれたとしても、すぐに修正されてしまう。
私はこの研修で、生き方そのものが変ってしまう大きな経験と知識を積むことができた。
その上、同じ方向を向いて進んでいける仲間も得た。
知ることこそ、本質だと思った。
世界が何を見てどう動いているのか。
世界規模で、より多くの人が何が正しいと言っているのか、何が間違っていると言っているのか。
そして、その上で、自分はどう生きるのかを常に考えて行かなくてはいけない。
今正しいことは、明日には間違ったことになることもある。
だからと言って、知ることを、行動することを、やめるわけにはいかないのだ。
※他にも、多くの研修を行ってきました。
マイノリティの団体が共同で数名の代議士を立て、次の議会で何を要求させるのかを話し合う会議にも参加させてもらいました。
興味のある方は、個別に質問に答えますので、どんなことでも遠慮なくどうぞ。
#血友病 #車椅子 #福島県海外派遣事業 #ふれあいウィング #障がい者の人権
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