病気と私 51 車いすと海外研修

誤字脱字等、その他本文のおかしなところは、随時修正していくつもりです。

お気づきの点などありましたら、どうかコメント欄で教えてください。

よろしくお願いします。


1998年(31歳)

----- 福島 -----


股関節の治療を終えて職場復帰した後、施設長と相談して、職場内を車椅子で移動できるように事務所内を改善してもらった。

改善してもらったというか、好きなようにしていいので指示してもらいたいということになった。


家の平面図をイラストレーターで書いていたので、そういうのは、特に苦にならなかった。

配置図を作って、車椅子で移動できる空間をシュミレーションし、これならいけそうだという案をプリントアウトして検討してもらい、配置換えを行うことで、車椅子でも仕事ができるような環境を作ることができた。


職員トイレは和式トイレのみだったので、もともと使える状態ではなかったため、利用者さんが使うトイレを使わせてもらっていた。

これもなんとかしてもらいたいとは思っていたが、構造的に車いすでアクセスできる洋式トイレを設置することは不可能だったため、頼むこともしなかった。


車も、車椅子の上げ下ろしをしやすくするため、2ドアの車に変更した。

私はこれまで、歩くことにこだわり、できるだけ歩き続けようとがんばってきた。


入院前は、買い物に行っても、車から降りることはなく、駐車場でただ待っているだけになっていたし、洋服を買いに行くのも面倒で、同じ店から新作を買ってきてもらうようになり、買い物という買い物には、ほとんど出かけなくなっていた。


車椅子を利用するようになると、生活が一変した。

周囲の目が気になるだけで、何をするにも楽で仕方がなかった。

車椅子は足漕ぎができたので、両腕は使えるし、膝の上に物を乗せれば、大概の重たいものも問題なく運べるようになった。


出先で内出血して歩けなくなる心配をしなくていいというのは、なによりも安心できてよかった。


福島県の海外派遣事業「ふれあいウィング」に申し込んでみないか?

施設長から声をかけられたのはそんな時だった。

書類を見てみると、およそ2週間にも及ぶ海外研修だった。

もし採用されたら職場で本当に休暇をくれるのかが疑問ではあったが、声をかけておいて、やっぱり無理とは言えないだろうと思い、本当にいいのですねと確認をして申し込みすることにした。


この事業は、全国で最も福祉政策が遅れていると言われていた福島県が、障がいを持つ人自身の手で県内を変えてもらいたいと考えて実施された一大プロジェクトだった。


実際のところ、県税事務所ですら入り口にすごい階段があって、車いす利用者であれば自動車税の減免申請書さえ出すことができないような状態になっていた。


車いすを利用し始めたばかりの自分などが選ばれるはずもないと思っていたのだが、どういうわけか、書類選考で残り、最終試験の面接も突破してしまった。


研修生には、障がいを持つ高校生や、障がいを持つ子の親、教育者など、バラエティあふれる人材が選らばれ、事前研修ですら大変なことになっていた。

例えば、ろうの方には、手話通訳が必要であったし、盲の方には、全ての映像物を口頭で説明するか、点字の書類を用意しなくてはならなかった。

それをリアルタイムで全員が同時に理解できるようにしなくてはならないのだ。


その場にいただけでも、一気に障がい者に対する知識が入ってきて、衝撃的な空間だった。

また、障がいの種類によって、海外で得ようとしているものが全く違っていて、単純に障がい者とひとくくりにできるようなものではないことがはっきりとわかり、とても勉強になった。


ほぼ全員が私同様の想いを持っており、それぞれの問題をどう解決して行ったらいいのか、常に考え続けてきた人たちであった。


「福島県の各地域や県域レベルの障がい者福祉のリーダー・実践者を育成することを目的とする」

このことの意味を、ようやく理解することができた。


福島県は形振り構わないほど本気だった。

そこにいた人たちは、行政のやることを強烈に非難する人や、自分たちの人権問題を声を大にして訴えてきた人たちだったのだ。

彼らが海外で、障がい者の人権を学んでくれば、行政が何を言われるのかは容易に想像できただろう。

それでも尚、県内の障がい者福祉をどうにかしたかったのだ。


私は以前に、一度だけ社会福祉協議会の主催する障がい者同士の親睦会のようなものに参加したことがあった。同じ町に住んでいる障がい者が何人か集まり、ただ酒を飲んだり食事をしたりするだけの会だ。


社協で集めた金を使って飲み食いして、ただ解散するだけの会


なんだか終わったとで、とても疲れて、二度とその会に参加することはなかったが、あんなことが障がい者にとって何の役に立つのかさっぱり理解できなかった。


障がいを持つ人たちが暮らしやすい街にするにはどうしたらいいのかとか、就職をするためには何が必要なのかとか、そんな話は誰の口からも出ることがなかった。

あの酷い体験はなんだったのかと思った。


万人にとって都合のいい社会などあるはずがない。

それは確かに、「自分たちにとって都合の良い」という、条件が付くものであるが、より多くの人にとって都合のよい状態を考え出せなければ、社会には受けて入れてもらえない。

それをみんなで考えていける環境が作られたのだ。


こんなにも一生懸命に自分たちの未来を考えている人たちがいる。


自分が考えていることは私だけの我儘ではないのか、言ってはいけないことまで口にしているのではないか、そういう不安を沢山抱えながら社会と関わってきた。


しかし、ここにいる人たちには、それが正しいのか間違っているのか聞くことができた。

そして、ここに集まったメンバーと知り合いになれたこと自体が、私の人生を大きく変えてしまうことになった。



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#血友病 #車椅子 #職場内バリアフリー化 #福島県海外派遣事業 #ふれあいウィング #障害者の人権

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