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1987年(20歳)
----- 東京 -----
1987/04/20
早稲田の鶴巻町にあるマンションに引っ越しをした。
早稲田とはいえ、ほぼ文京区の江戸川橋だ。
部屋は402号室だった。
頭の中では、アルフィーの無言劇が流れていた。
曲を意識してこの部屋を借りたわけではなかったが、なんとなくこの部屋の番号は気に入っていた。
高校の時の友達がアルフィーの大ファンで、頼みもしないのに持っているレコードを全部カセットテープに録音して私の部屋に持ち込んで聴いていた。
友達とはそういうものだろうが、人のタバコを勝手に吸い、部屋にあるものを勝手に使い、眠くなれば寝て、帰りたくなれば帰る。
東京に出てきてからも、音楽だけはいい音で聴きたいと思っていたので、アンプ、レコードプレーヤー、スピーカーの3点は、引っ越しして間もなくから下宿の部屋に置いてあった。
4畳半の部屋には少し似つかわしくないシステムだったが、妥協するわけにはいかなかった。
板橋にオーディオに詳しかった親戚の叔父さんが住んでいた。
この叔父さんは、私が唯一東京で頼ることのできる親戚で、いろんなものにとても拘りの強い人だった。
車、自転車、オーディオ、etc
東京に来てすぐに叔父さんに連絡し、テレビとオーディオを買いたいと相談した。
テレビは、叔父さんの友達がいらなくなったと言っていた物があるからそれを持って行ってやるということになり、オーディオは、ラオックスに知り合いがいるので、そこで買おうということになった。
叔父さんの物に対する拘りは、少々うるさいというレベルではなかった。
一昔前でいう極度の「オタク」だったと断言できるような人だ。
カタログのデータや数値を追うというのではなく、中に入っている部品の一つ一つまで知り尽くし、出てくる音を計測機で計るほどの傾倒ぶりだ。
そして気に入らなければ自分で部品まで作ってしまうような人、
私もそれなりに知識はあったが、到底及ぶことはなく、物選びに関しては、絶対的な信頼のおける人だった。
物に拘りが強いというのは、生き方に対するこだわりが強いことの反映であったので、私は叔父さんの話を聞くのがとても好きで、時々マンションまで遊びに行って、食事をごちそうになったりもしていた。
奥さんもさっぱりした人で、言いたいことには口をつぐめないような人だったので、お邪魔するにも気遣いを必要としなかったのも良かった。少しは気を使えと言われてはいたけど。
コーヒーはいつもレギュラーで、万力付きのミルがシンクに挟まっていて、いかにも面倒がなくすぐに淹れられるといった雰囲気も気持ちが良かった。
叔父さんはよく、いつでも頼っていいぞ、1000円ぐらいならいつでも出してやるからなと言っていた。
その宵越しの金は持たないみたいな生き方も、到底自分には真似のできるものではなく、とても魅力的に見えていた。
話を、鶴巻のマンションに戻す。
前の引っ越しの時、お金がなかったので業者は頼まずに、ほとんどの荷物は自分で自転車に乗せて運んだのだが、アンプとレコードプレーヤーだけはどうしても運べなくて、オーディオ類だけはタクシーで運んだ。
引っ越し先のマンションは、タクシーが止まった道の反対側にあったために、一旦、道路に並べて置いて、一つずつ持って、マンションまで運んだ。
スピーカー、レコードプレーヤー、アンプの順で運んだのだが、レコードプレーヤーを道路の反対側まで運んだ時に、ガチャン!という大きな音がして振り返ると、私のアンプが自転車にひかれたところだった。
自転車に乗っていた人は、そのままどこかにいってしまったので、怪我などはしなかったようだったが、アンプはけっこうな大怪我をしていた。
音が出ることに関しては特に問題がなかったので、修理にも出さずにそのままだった。
テレビは叔父さんにもらった小さなものがずっとあったのだが、前回の引っ越しの時に2台はいらないということで、処分してしまい、テレビだけは新しく買うことにした。
当時MSXという、パソコンともワープロとも、ゲーム機とも言えないようななんとも中途半端な物(万能?)があった。
私はそれを買って、プログラムを書いてみたり、ゲームをしたり、学校の卒論のテキストを保存したりしていたのだが、できればRGB端子の付いているモニターで、文字などを綺麗に映せるテレビが欲しいと思っていた。
そこで、また叔父さんに頼んで買い物に連れて行ってもらった。
一人の空間で、エアコンもお風呂もシャワーもあり、台所もちゃんと使える状態のものが付いていた。
ベランダもついていた。
それと、屋上に出ることができたのも、とても気持ちがよくて気に入った。
HIVの問題もあり、就活の失敗もあり、引っ越し早々に、少しおかしくなってしまっていた時期があったが、正気を取り戻したので人生の再建を始めようと思った。
人はたった一人でも理解してくれる人が居れば、なんとか立ち直れるものなのだ。
ハンドルに二本の松葉杖をひっかけて肩に背負い、リュックサックにノートと教科書を入れて、毎日休まずに登校するようになった。
HIVに対する正確な情報が毎日のようにテレビで放送され、それぞれが、知識をもって私を見るようにはなったが、一度自分に対して向けられた態度は、私の頭からは消え去らなかった。
「偏見や差別をしないようにしましょう」
しかし、どれほどそんな放送をして啓蒙活動を進めも、原因不明な病で、治療法も全く見つからず、感染すればいずれ発症し死に至るという事実が変ることはなく、あえてそこに関わろうとする人など、よほどの慈善家でもなければいなかった。
今回のことがたとえ大丈夫だったとしても、いつ自分が自覚のないままに、他人に害を及ぼすような存在になってしまうのか分からないということも重く悩ましい問題になっていた。
いずれにしても、克服する以外に道はなく、前を向いて進むしかなかった。
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