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よろしくお願いします。
1986年夏(19歳)
----- 東京 -----
1986年7月
帝京大学病院に通院した際、突然エイズの検査をしますと言われた。
「あなたには、インヒビターがあって、製剤を使っていないので、特に気にしなくても大丈夫だけど一応検査だけはさせてもらいます」
確かに、東京に来てからは、病院までタクシーで行かなくてはいけなかったし、行けば帰ってくるのも大変だったので、具合が少々悪くなっても、病院には行っていなかった。
(タクシー代を払うのがもったいなかったということもある)
あまり気にもとめてはいなかったが、テレビなどでも時々同性愛者同士の間で奇病が流行っているということは知っていたが、自分と関係のあることとは思っていなかったのだ。
その後、8月に左膝が急に腫れて動けなくなり、帝京大学病院に通院すると、今は抗体の数値がとても下がっているし、新たにエイズに対する加熱処理をした第8因子製剤がで出てきたので、バイパス療法ではなく通常の治療に戻し、第8因子製剤を使ってみてはどうかと言われた。
それと同時に、在宅で注射が使えるように制度が変わったので、この機会にこのまま入院して、自己注射を覚えて行ってはどうかと提案された。
なんだか一度に色んなことを言われたが、このまま帰ればすぐには歩けないので容易でないことは確かだった。入院するなら久しぶりに抗体検査を受けながら歩けるようになるまで病院にいようと思い、指示通りに入院することにした。
インヒビターの検査結果は、驚くような結果だった。
第8因子製剤を使ったのに、抗体が上がるどころか、わずかに抗体が下がったのだ。
翌日にも同量の注射を使ったが、凝固作用に問題はなく、製剤を多めに使えば通常の関節内出血には問題なく対応できるという結果になった。
とりあえず、自宅で注射ができるのならそんなにありがたいことはない。
夢のような話だった。
退院する時には、数回分の注射と駆血帯などのセットをもらって帰った。
1回の量は2000単位にしてくださいと言われた。
抗体が下がったとはいえ、1.5ぐらいの数値だったので、2000単位でも少し足りないぐらいではあったが、酷い時は病院に来てくださいと言われたので、それはそれで了承するよりほかなかった。
※抗体検査の数値と製剤の使用量の関係は、1なら製剤を2倍、2なら4倍となる。
自己注射のトレーニングはとてもスムーズだった。
とにかく血管の真上から、血管に針が通るまで、静かに針を刺していくだけだ。
痛いのさえ我慢すれば、血管は太かったので、外すことは全然なかった。
それから数日が過ぎて、リラクゼーションと気功をテーマにした宿泊研修があり、それをきっかけに、一人の女性とよく話すようになった。
きっかけというのは、同じ研修会に出たということではなく、私が行く研修に興味はあったが、お金がなくて行けないので、戻ったらどんなことをしたのか教えてもらいたいと言われていたのだ。
彼女は、家賃や生活費を、アルバイトで得たお金で支払っていた。
研修会への参加を決めた時、「私も行きたいんだけどな」と話しかけられ、以前からやっていた呼吸法による瞑想と、リラクゼーションのことなどを少し話すと、私の話をとても聞きたがっていたので、帰りの時間が一緒になった時などに、学校の帰りにお互いのアパートなどに寄って話すようになっていった。
彼女は、私と一緒に居るところを他の人に見られるのを嫌がったので、帰りを一緒に歩いて帰ったりたりすることは全然なかった。
誰か好きな人でもいるのだろうかと思ったが、あまり気にも留めなかった。
研修が終わり、彼女が楽しみにしていた気の流れを感じるトレーニングを一緒に始めたのだが、気が付いたら朝になっていて、そんなことになってしまっていた。
こんなことは初めてだった。
途中、何をしたのか全然覚えていないのだ。
ただ、向かい合って両手を重ね、呼吸に合わせて肩の力を抜いていき、それをただくり返していて、気が付くと呼吸数も心拍数も全く同じ状態になってると思ったあたりまでは覚えている。
私たちは付き合っていたわけではなかった。
ただ、話をしたり、一緒にいたりしていただけだった。
前にも少し話したが、彼女には他に心に決めている人でもいるのだろうと思っていた。
それでも今の自分たちの関係に、お互いに誰か好きな人がいたとしても、何の問題にもならないと感じていた。
恋愛と結婚は別だと、彼女が力説していたせいもあったろうと思う。
私はといえば、恋愛はもうこりごりだったので、結婚相手だけ見つかればそれでいいと言っていた。
彼女にとっては、一緒に居る相手として私みたいな人間が都合がよかったのだろうとも思っていた。
それと、彼女の要求水準から見ると、自分がどうにかできるとは到底思えなかったので、何かを頑張る意味もなかった。
抱き合っていても違和感を感じない友達みたいなものだったし、お互いがお互いの生き方には干渉できないという暗黙の了解がそこにはあった。
彼女が生活費が苦しくなってしまったというので、私は自分の恐ろしい暑さのアパートは引き上げることにして、自分が払っていた分の家賃を彼女に渡して、彼女のマンションで一緒に住むようになった。
男女なのだから、同棲だと言いたいところだが、つまりはただの、シェアハウスだった。
彼女はとても気の利く人だった。
タバコ探そうとするとタバコと灰皿とライターが用意され、
のどが渇いたなと思うと、言葉にしないうちに珈琲が入れられ、
シャワーに入ればバスタオルと下着が用意されていて、
こんなに快適な生活をしたのは生れて初めてだった。
食事も、私が用意したことなど一度もなく、当たり前のように私の分も食事を作り、仕事が遅くなると音を立てずに静かに帰ってきて寝て、とにかく、なんだかとても大切にしてもらっているような気がしていた。
一番驚いたのは、具合が悪くて寝ていた時に、リモコン戦車のプラモデルを買って来た時だ。
「男の人ってこういうの好きなんでしょ?動けないなら暇つぶしにいいと思って」
いったいこの人には、私の何が見えているんだろうと思った。
余計なお世話だと思うことは何一つなかったし、何かしてほしいと口にする必要もなかった。
共同生活というよりも、飼われている犬のような気もしたが、彼女と過ごす時間は、安心できるとても良いものだった。
#血友病 #心理学 #リラクゼーション #共同生活 #HIV #エイズ
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