病気と私 37 カウンセラー

※障がいを持たれている方本人や、その関係者にとっては不快に思われる可能性が高い文章も含まれています。読まれる方は、了承の上でお願いいたします。


誤字脱字等、その他本文のおかしなところは、随時修正していくつもりです。

お気づきの点などありましたら、どうかコメント欄で教えてください。

よろしくお願いします。


1985年秋(19歳)

----- 東京 -----


先生はゆっくりと話を始めた、

遺伝するかどうかは分からないが、兄弟で自閉症という家庭は確かにある。

自閉症に限らず、知的障がい者全般がそうだし、うつ病や、統合失調症などでも同じことが言える。


「自閉症の子どもを持つ親に、次にもうひとりこどもを作ることを勧めるのですか?」


「遺伝するかどうかということは、あまり重要ではないと思う」

「親は子供より先に死ぬのは普通の話だ、親が死んだらその後は誰がその子の面倒をみるのだ。

その子が可哀そうだと思うなら、自分たちが死んだ後でも、子どもが幸せに生きらる道を作らないといけないのではないか?」


「二人目の子どもに自閉症の子どもが生まれてはいけないのか?それを誰が決める?」


「自分たちは、どんな子どもが生まれてきても、その子ども自身も、家族も、みんなが幸せになれるようにあらゆる研究をし、対応できるような社会を作り続けなくてはいけない。それを否定してしまえば、今いる自分の子どもも否定することになるし、親になった人は、不幸だと思わなければならないのか」

「子どもは、母親のお腹から出てきた時に、その子自身の人生が始まっているのだらか、たとえ親でも、その子を幸福にしたり不幸にしたりする権利はない。子どもは自分自身の力で幸福にも不幸にもなる。その手助けをするのが、親であったり我々であったりするだけのこことだ」

「現状を見れば、二人目の子どもは、障がいをもっていない子どもの方が圧倒的に多い。一人目が障がいを持たない子どもで、二人目に自閉症の子どもが生れることだってある」

「二人目が、障がいをもたない子どもだったらどうなるだろうか。育て方が良ければ、親を支えて、長子をも支えていけるような人間にだって育てられるのではないか」

「どういう道を選択すれば、どういう結果がまっているかは分からない。子どもが自分自身の幸福を掴み取るのと同じように、親もまた自分たちの選択によって自分たちを幸福にしていくしかない、人生の責任は、本人にしか取ることはできない」


「カウンセラーは、その人がどういう選択をするのがいいのかを先導してはならない。

ただ、知り得ることをできるだけ正確に伝えて、そこから何を見出すのかは、それぞれ自身の責任で選んでもらうしかない」

「カウンセリングの方法によっては、知り得ることすら一切相手には伝えず、ただ話を聞くだけのものもある。これなら、間違ったことを言ってしまう心配もないし、クライアントが良くなっても、悪くなっても、何も変わらなくても、カウンセラーは何の責任も取らなくて済む」

「どういうカウンセリングをしていくのかは君自身が選んでいくしかない」

「相談を受ける側の技術は、数多くの心理学であったり、心理テストの評価であったり、サイコセラピーの様々なやり方はあるが、個人の悩みを聞く以上、それぞれの人の興味、人生の課題、そういったものを知ることができなければ、解決にはたどり着けない。心理学だけ勉強していても役には立てない」


「では、私の場合はどうですか。子どもを作れば男なら遺伝しない。女なら必ず遺伝子が残る」

「現代医学では性別が分かってから堕胎することも不可能ではないかもしれない」

「ただ、問題はそういうことではない、障がいをもつ人、病気の人、これらは、健康なもの同士が結婚しても一定確率で必ず生まれてくる、生まれてくる子どもがどんな姿で生まれてくるのかは、親は選ぶことができない」

「それは、子どもが親を選べないのと同じことだ」

「何より、君は、自分が生まれてこなければよかったと思ったことはあるのか?」


私は、答えに困った。

しかし、先生の言いたいことは十分に理解できた。

そして、この先生の問いかけは、私がこれから生きていく上で、とても自分にとって都合のいい問いかけであったのだ。

私は、子どもが欲しいと思った。

しかし、先生の話を聞いても、自分の子どもが欲しいとは思わなかった。

その上で、一緒に子育てをしてくれる相手がどうしてもそれを望むのなら、拒絶する理由もなくなったと思った。


話が飛んでしまったが、前回の話の続きに戻る。


私は、学校以外でこういうことを沢山見聞きし、同じ学校の生徒たちとも感覚が違ってきていたのだ。

こういう感覚は、障がいをもっている人間や、病気を患い苦しんだ人でなければ認知できないようなことだってあるのだ。


今となって思うことは、

私にとって他人事ではないことが、彼女にとっては他人事にしか見えなかったという温度差ではなかっただろうか。

自分と関わっていく以上、彼女にとっても、他人事のままの感覚ではいてほしくなかった。

私の体のことはとても気遣ってくれたし、病気を理解してくれてもいたのに、私は、無理なことを彼女に要求していたのだ。


直接の原因は、彼女が私と一番仲のよかった友達に、私のことを相談しに行っていたことだ。

彼女にしてみれば、私が何を言っているのか、どう答えたらいいのか分からなかったのだろうと思う。自分を認めてもらいたい、好きでいていてもらいたい、そういう想いがあってしたことだということは十分に理解していた。

相手のことを考えもせずに、言いたいことを言っていたことも自覚していた。


「お前、あんまり彼女を泣かせるなよ。俺、相談受けているうちに彼女のことが好きになってしまって、自分と付き合えって言っちゃったよ」


しばらくして彼女からこう言われた

「彼から付き合ってほしいと言われたんだけど、どうしたらいいかな」


私は怒っても居なかったし、悲しくもなかった。

そしておそらくは、自分には関係のないことだと言わんばかりに、

静かに、「好きにしたらいいよ」と言った。


答えを用意していたわけでもなかったのに、口から出た言葉はそれだった。

私は、仲の良かった友達も、彼女も両方とも同時に失ってしまった。


他の人間に相談をしなくてはいけないほどに、追い込んでいたことに気づかなかった自分には腹がたった。

しかし、いくら私の友達とは言え、何度も彼のアパートまで行って私の相談をしていたことを想像すると、その無防備さに腹が立って、とてもこんな人とは一緒に居れないと思ったのだ。

「自分以外の男を信用する」「自分以外の男と密室で居ることができる」これだけは、どうしても譲れないものだった。

このことをまず彼女に言っておかなければならなかったのだ。

それだけはやめてくれと。


これが、単なる嫉妬から出たものかと自問自答もした。

しかし、そうではない、もし彼女が、その相手に何かされることを望んでいたならそれはそれで構わなかったのだ。


私が耐えられなかったのは、もし、望まないことを力ずくでされてしまったら、自分自身がどうなるのか、私がどんな思いをするのかを考えていなかったということに耐えられなかったのだ。


私は、友達も恋人も、ずっと前から要らなくなっていたことにも気づいた。

私に必要だったのは、自分にとって有用な人間。

有用でなくなれば、関係を維持する意味がない。


ただ、それだけのことなのだと思った。



#血友病#心理学#ヒューマンギルド#アドラー心理学#やまびこ親の会#自閉症

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豪雪地帯の田舎に古い家を買い、うさぎとねこと暮らしています。 主な内容は、ウサギとネコの動画と、病気と付き合ってきた自分史になります。 動画は、Youtubeにアップロードした動画の紹介になります。 ※コメント欄はご自由にご利用ください。

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