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よろしくお願いします。
1985年(18歳)
----- 東京 -----
学校では、まさに心理学三昧の日々が続いていた。
自分の抱えていたものをすべて捨て去ってしまうと、その空いた場所に、いろんなものがどんどん詰め込まれていった。
そんな中で、〇張先生という臨床心理学の師に出会うことになる。
明らかに他の先生とは違うオーラを放っていて、目つきもとても鋭い人だった。
基本的な臨床心理学の講義の他に行動療法、アドラー心理学、自閉症の療育プログラムなど様々なものを教えてくれていた。
先生は臨床心理学に特に興味のある生徒に対し、勉強会を開き、放課後や休日などに独自の講義を始めてくれた。
私はすぐにこの先生を好きになり、この先生と同じようなセンスをもった人間になりたいと思うようになった。
始めは、ホワイトボードに書かれていたことをノートに写しながら授業を受け、その日のうちに復習として自分の言葉に置き換えたノートを別にもう一冊用意して書き込んでいった。
しかし、何度か講義を受けていると、ホワイトボードに書かれていることよりも、先生の言葉自体が自分の人生には重要だと思うようになり、必要と思われる部分の言葉を抜粋してノートに書き留めるようになった。
それでも何か足りない気がして、白紙のレポート用紙を買って、一言一句の全てを言葉通りに書き込むようになった。
必ずその日のうちに、先生の言葉を自分の言葉に置き換えて、別なノートに転記した。
心理学には、学派が沢山あり、代表的な人物では、フロイトやユング、アドラー、ロジャースなどだが、派閥はそれぞれの名前を取って、フロイトなら「フロイリアン」、ユングなら「ユンギニアン」などと自分たちのこと呼んでいたが、数ヵ月も過ぎると、私のことを「〇バリアン」と呼ぶ人が出てくるようになった。
気が付くと、仕草や口癖までもなんだか似てきていたのだ。
ノートは学校を卒業する頃には、私の人生のマニュアルになっていた。
課外の講義は〇濱先生という先生も行っていた。
サイコセラピーの実践講義だった。
絵画療法や、エンカウンターグループなど、実際の治療で行うことの多くを教えてくれた。
〇濱先生は、何故か私を特別なセンスを持った人間だと言っていた。
生徒の中にこんなセンスを持っている人が居たなんて驚いたと。
実際に治療を行っているセラピストから、そんなことを言われたら有頂天になってしまうところだが、その理由を聞かされても、普通の人はみんなそうではないのかと思うだけで、自分が特別だと思う気にはなれなかった。
(先生の誤解だと思った)
それと、君になら任せられるから事務所の電話番をしてくれないかと言われたこともあった。
もちろん、嬉しかったのは嬉しかった。
課外講習の他にも、〇張先生の勧めで、アドラー心理学研究所(ヒューマンギルド)にも通うようになった。
ヒューマンギルドには、学生はほとんどいなかったので、自分がそこに居てもいいのだろうかと思うような場違いな雰囲気はあったが、アドラーの基本的な考え方や、カウンセリングのやり方を学んでいくことはとても楽しかった。
19歳の時にアドラー心理学カウンセラーの認定書ももらうことができた。
当時は野田さんという精神科医が所長をしていた。
〇張先生もヒューマンギルドも、何か一つの心理学、一人の人間の論説、そういったものに対する拘りは全く持っていなかった。
宗教、哲学、ヨガ、瞑想、気功法など、治療に役立つものはなんでも取り入れていた。
私は、受けられる研修は全て受けて、それらを体験してきた。
気功法の研修では、今のヒューマンギルドの代表である岩井さんとも一緒になったことがあった。手がとても暖かかった人だと記憶している。(岩井さんは覚えていないだろうけれど)
話が煩雑になってしまったが、
学校では、乳幼児心理学、青年心理学、老人心理学、そういった基本的な心理学と、心理テスト(実施と評価)を学び、校外では、実際のカウンセリングと、様々なサイコセラピーを学んでいった。
この他にも、横浜のやまびこ親の会が主催していた宿泊イベントのボランティアをしたり、、旧校舎(大須成学園)を買い取って、登校拒否のこどもを集めて生活と勉強の面倒を見ていた組織(登校拒否文化医学研究所・(当分行けない・トウブンイケンと読むと教わった)のへボランティア(泊まり込み)など、とにかく、自分がやれそうなことには、全てに首を突っ込み、得られるものはなんでも貪欲に取り入れていった。
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