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1984年~1985年
----- 進路 -----
進学コースに入ったので、進路を決めて勉強に取り組む必要があった。
頭が悪かったのは何度も話したことだが、国公立大は到底無理だったので、3教科で受験できる私立大学以外に進学の望みはなかった。
私は、本当に、何も得意なものがなく、忍耐力も器用さもなかった。
高校1年生の時は、ほとんどオール3だった。(中学生の時も同じだった)
私の両親は、3は普通だからいいなと言っていて、一度も勉強をしろと言われたことがなかった。
それと、あまりにも周りの生徒の成績がめちゃくちゃだったので、全国模試の校内学年別順位としては上の方にいたので、自分の息子がそれほど頭が悪いとは思っていなかったのかもしれない。
(そもそも、何も期待されていなかったという面が一番強い)
しかし、大学を選ぶ段階になると、校内の学年別順位が高いことは何の意味も持たず、現状ではどこの大学にも入れそうな感じはしなかった。
それ以前に将来何をして生計を立てていくのかということを決めなくてはならなかった。
今から当時の自分を思っても勉強に関しては、本当にいい加減なことしかやれていなかった。
勉強の仕方を全然知らなかったため、何をやったらいいのか全く分からなかったのだ。
なりたいもの、理想を言えば、
東北大学病院の「ケースワーカー」のような人
西多賀病院の「生活指導員」のような人、
つまり困っている人を助ける仕事をしたいと思っていた。
しかし、自分の今の姿を見れば、そんなおこがましいことができるはずがないし、何をやればそこにたどり着くのかも知らなかった。
そんな中で、自分が選べそうな大学を考えたとき「福祉大」が浮かんできた。
当面、福祉系の大学を目指し、とにかくやれるだけやってみて、あとは受験直前になって入れそうな大学があったら受験しようと考えた。
勉強のやり方が分からなかったので、参考書も問題集も選べず、赤本は買ったものの何をしてよいかわからず、目標を決めても結局のところ、補講をうけるぐらいしかやれることがなかった。
3年生になり、推薦を受けられるほどの成績も残せず、受験にも失敗して、大学は諦めることになった。
(言い訳をしておくが、がんばったことはがんばったのだ、2年生の3学期からは成績に4が増え、3年生の2学期には4の方が多くなっていた)
就職も考えたのだが、もう少し自由な時間が欲しかったため、福祉系の専門学校に行かせてほしいと父に頼んだ。
勉強は嫌いだが仕事するのはもっと嫌だったから進学するというおかしな選択ではあったが、一生に一度だけある誰からも束縛を受けずに、何をしても自由に生きられる時間がどうしても欲しかった。
父
「お前は体が丈夫ではないから、実家の近くで喫茶店でもやらせようと思って貯めて来たお金がある。高校を卒業したら、適当な場所に店を作ってやることもできる。その学校を出たら何か資格が取れるのか?どうせ行くなら、何か資格が取れる学校にした方がいいんじゃないか?」
私
「福祉関係では、国家資格というものがないから、学校を出ても何ももらえない、それでも学校に行きたいと思っているのだがだめだろうか」
父
「お前の金だから好きに使っていい。でも、これしかないから、後は自分で生きられるようにするしかないんだぞ」
高校3年生になってから、過去の自分をすごく振り返るようなり、他人に対して幻滅することがとても多かったし、人の変わりようにも疑問を持つようになった。
表面ではニコニコ話をしていて、陰で酷いことを言っている人もいた。
気にしないようにしようと思ってはいても、自分がクラスから浮いてしまった理由をなにか見つけないと納得がいかなかった。
ほんとうに細かいことまで色々と考えた。
2年生の1学期
私は、毎朝、誰よりも早く教室に居た。
自分のクラスで一番早いというより、学校での登校一番乗りとう感じだったので、学校も教室もとても静かだった。
ひとりでいると、教室のいろんなものが目についた。
最初に気になったのは黒板だ。
私は、中学の時に英語の先生から黒板の消し方を教わっていた。
隅から隅まで水平に黒板けしを移動させ、うっすらと横筋に模様がはいっていると、綺麗に見えるのだ。そして、先生はそれでいいと言っていたのだが、黒板けしを掃除し、横線の間をさらに拭き上げていくと、黒板がどんどん深い緑色になり、濡れた雑巾で拭いたように綺麗になっていくのだ。
濡れた雑巾を使うと黒板が痛むとおもったので、私は濡れた雑巾は使わずに、いつもそうやって何度も黒板けしを掃除し、黒板を拭きを繰り返して、綺麗になった黒板を眺めるのが好きだったのだ。
そして、そうやっておくと、必ず先生が、今日も綺麗だなぁと言ってくれていた。
朝早くに教室に来てやることなかったから、ただ黒板を掃除していただけだったが、一度やり始めると毎日やらないと気がすまなくなってくる。それが朝の日課みたいになっていた。
次に気になったのは、教室の片隅にあった鉢植えだ、いつからそこにあったのかは分からないが、枯れそうになっていたので、水をやった。
私は、植物でも動物でもそうなのだが、弱っている姿を見ると自分の息がつまるのだ。
それは優しいとか思いやりがあるとか、そういうのとは違う。
ただ息苦しくなるのだ。
水やりを始めると、一週間ぐらいですっかり元気になり、それも日課となった。
とにかく暇だったのだ。
そんなある日だ、
クラスの女子数名が私の所に来て、「鉢植えには自分たちが水をやるのであなたはやらなくてもいい」
と言われた。やりたくてやっていることをやらなくてもいいという意味が分からなかった。
私は勝手に、あの鉢植えは、あの子たちが持って来たものだったのかと理解した。
つまり余計なことをするなということだと思った。
それ以来、私は水をやるのをやめた。
鉢植えは、日に日に弱っていき、ついに枯れてしまった。
可哀そうだとは思ったが、手を出すなと言われたら何もしようがなかった。
新学期が始まり、クラス担任から言われた。
「俺はだまって教室の鉢植えを見ていたが、あの鉢植えを気にして水をやっていたのはお前だけだった。
クラスの女子に、お前らは女として、枯れそうになっている鉢植えに水をやることもできないのかと言った。そしたら、自分たちでやると言い出したのだが、結局枯らしてしまった。」
そういうことだったのか。
自分のやっていたことは、他の生徒が非難されるようなことだったのだ。
私は優しい人間ではない、枯れた植物は可哀そうだとは思ったが、私の責任ではなかったから、それは鉢植えの運命だと思っていた。
そしてあの鉢植えを枯らしたのは、クラス担任だったのだ。
誰一人悪気があってやっていることではない、それでも人は人を恨んだり妬んだりするし、犠牲になって死んでしまう生き物だっているのだ。
私は、自分の進路を、決めなければならなかった。
選択肢は二つあった。
社会福祉学と、心理学だ。
より人の心を理解し、助けることができる学問、
そして、当時はこのどちらの学問を選んでも、国家資格というものはなかったため、学校を卒業した後、どんな仕事に就いたらいいのか全く分からなかった。
そうして悩んでいる時に、
自分の人生を変えてしまうような、酷いことが起こった。
酷いことがあったとしか書けない。
数日前まで考えていた、就職とか、将来の仕事とか、そんなものはどうでもよくなってしまった。
夢も希望もなくなるとはまさにこういうことなのだと思った。
人を殺すこともできず、自分を殺すこともできず。
ひとりの大人の男として、誰かを守りながら、自分も生きていく術を学ばねば、身動きすらとれなくなってしまっていた。
#血友病#血液製剤#進路#誤解
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