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1982年 高校生
家では、兄が結婚して、親と同居を始めており、久しぶりに家族全員で日々を過ごすようになっていた。
小学校の時に自転車で怪我をしてから、「自転車」という言葉は禁句のようになっていて、高校生になるまで、全く自転車に乗る機会はなかった。
高校生になったこともあり、私が自転車を買って欲しいと話すと、兄が、沖縄に置いてきた自転車をこっちに送ってもらうことになっているので、少し待てと言われて、そういうことならということで、楽しみに自転車が来ることを待っていた。
話があってから10日以上はかかったと思うが、ドロップハンドルのかっこいい自転車が実家に届いた。
サドルを一番下に下げてもらい、それでようやくつま先が付くぐらいの状態だった。
私は、右膝があまり曲がらなかったので、かえってその方がペダルを回しやすかった。
ドロップハンドルの自転車は、上と下の二か所にブレーキが付いているものもあったが、兄の自転車は、下の方に付いていただけだった。
私は、自転車に乗れることが嬉しくて、学校から帰ってくると、毎日自転車に乗って近所をぐるぐると回っていた。
歩ける距離はどんなにがんばっても、せいぜい2km弱程度で、犬の散歩ですら家の周りを一周する程度だった。そんな私にとって、自転車はこれまで見たことのない新しい世界を見せてくれていた。
変速ギアは、前2枚、後5枚の10段変速だったと思う。これまではギア付きの自転車には一度も乗ったことがなかったので、兄から説明は受けたのだが、実際に乗ってみると、どういう道なら、どのギアで走ると走りやすいのかというイメージが持てなかったので、ギアをいじると急にペダルが重くなって走れなくなったり、いくらペダルを回しても前に進まなくなったり、なかなか、いい位置にセットすることができなかった。
少しずつ慣れてきて、ギアもいじってみるようになり、平坦な道ではこれ、上り坂ではこれと分かるようになってくると、ますます自転車にのることが楽しくなった。
町を大きく一周できるようになると、今度は、毎日バスで通う道を、自転車で行けないか、シュミレーションするようになった。
バスで通学する間、道路の起伏や、自転車で通れる場所、車とすれ違うの時に危険な場所、左右ある道路のうち、何処の区間を何方側で走るのが走りやすいだろうかとか、登るのがきつそうな坂など、毎日考えながらバスから外を眺めていた。
家に帰ってきても、寝る時にそのことが頭に浮かんで、あそこでギアを何段に変えてとか、あそこで道路を渡って反対側の歩道に移ってとか、何度も何度もシュミレーションをやっていた。
高校までは、片道約15㎞あった。
自転車で、家と高校を往復するという計画は、ついにやれるという確信に至り、実行する日をいつにするか考えながら過ごすようになっていた。
家族に話せば止められることは分かっていたので、誰にも話さなかった。
実行する日は天気のいい土曜日と決めた。
土曜日は午前中で授業が終わるため、家から誰かしら迎えに来ることになっていた。
午後から出直しても、学校には科学部の先輩がまだ帰らずに残っているはずだし、夕方までには問題なく家に帰れると思ったのだ。
普通の人が考えれば、何の意味もない、ただ自転車で高校まで行くというだけのことにしか見えないだろうが、私にとっては、長年乗りたかった自転車に乗れるようになり、自転車で行きたい場所に行けるということは、「自由」というものを手に入れた第一歩のような気がした。
そして、15kmもの道のりを、自分だけの力で走り抜くということは、大冒険だった。
それほどまでに、病院での7年間は、私を抑圧し、自由を奪い続けていたということなのだろう。
そしていよいよ実行する日がやってきた。
#血友病#血液製剤
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