病気と私 18 肝炎


誤字脱字等、その他本文のおかしなところは、随時修正していくつもりです。

お気づきの点などありましたら、どうかコメント欄で教えてください。

よろしくお願いします。


1981年~1982年(中学3年生)


中学の卒業と同時に病院を退院するということは決定していた。

中学3年になっても受験生としての意識は全くなく、日々恋に頭を悩ませていた。


そもそも、参考書や問題集があっても、何をしたらいいのか分からないのだ。

問題集を開いてみても、解ける問題は普通に解けるし、解けない問題は参考書を見ても解けなかった。

それ以外では、英単語を記憶するとか、熟語を記憶するとか、とにかくひたすら書いたり読んだりして反復するという行為は、どう頑張っても自分には無理だった。


職業適性検査を受けたとき、血友病でもやれる仕事を意識したため、あらゆる仕事に対して興味がないと答えることになってしまい、「事務職が適正」などという回答をもらった。とにかく机に座り続けてやる仕事など、もっともやりたくない仕事のうちの一つだった。


手先が器用なわけでもなく、勉強もできない。立ち仕事は無理だし、怪我をするような危険な仕事はだめ、当時は、和裁や洋裁など技術を身に着けるという職業訓練校もあったが、自分にやれるとはとても思えなかった。


いったい自分には何ができるんだろうかと、この先もずっと悩むことになる。


何月ぐらいだったか覚えていないのだが、病院を退院する前に歯科治療だけは済ませておかなくてはいけないということになり。歯医者の診察を受け、歯の治療を完全に終わらせるということを始めた。


歯科治療のリスクは非常に高く、血小板が全く働かない口腔内において、血液製剤を使わないで治療を進めていくということは、家庭に戻ってからでは不可能なことであった。

奥歯を抜歯しなければいけない状態になっており、抜歯した場所を縫うというところまでは治療方針としてあったが、あとは圧迫止血をする以外に方法がなかった。


抜歯は実施され、縫合をしたのだが、1週間を過ぎても出血は止まらず、またしてもベッド上安静の状態になってしまった。


食べ物は流動食になり、口の中はいつも血だらけで、便もあきらかに普通ではなく、黒っぽい色になってしまっていた。

2週間を過ぎても出血は止まらず、1ヵ月が過ぎても血は止まらなかった。

縫合した糸は、いつからかわからないが、ちぎれてなくなっていた。


私はその間、流動食を飲み続け、ベッドの上で何もできないような状態になっていた。

少しずつしか出ていないとはいえ、1ヵ月も出血が続けば貧血になってくる。

抗体が下がっていたこともあり、やむを得ず第8因子製剤を使うという指示が出た。


久しぶりに点滴を受けて、そのことにより、一時的に出血は止まった。

しかし、翌日の朝には、また出血が始まっていた。

抗体はすっかり高くなり、次の製剤の使用は不可能となった。

先生から輸血の指示が出て、初めて自覚した状態で輸血を受けることになった。


病棟師長が輸血用の血液パックを持ってきた。

そういえば、師長の話をほとんどしていなかった。

この師長は入院時から居た人で、私が病棟を変わる度に同じ病棟に配属され、7年間の入院生活のうち、6年間もこの師長と同じだったのだ。

とにかく怒ってばかりの恐い師長ではあったが、この人の言う「あなたのために言ってるのよ」という言葉は、確かに私に届くものだったし、理不尽な怒り方をするような人ではなかった。

何より注射だけは一度も失敗されたことがなかったので、採血の順番が師長に当たるな・・・と思った時や、師長が製剤を持ってきたときだけは素直に嬉しかった。


それにしても、あのピンク色の針の太かったこと。

普段でもそう細い針を使っていたわけではなかったが、あの針はさすがに怖かった。


しかし、輸血されることに安心もした。

自分の血が無くなって来ていることを自覚し始めていたのだ。

血が無くなってくると、元気が出なくなってくる。

そして体に力が入らなくなってくるのは、とても怖かった。


輸血はその後もう一回行われた。

そして数日後に、ようやく出血が止まった。


血は止まったのだが、その後私には黄疸の症状が出て、今度は黄疸のための点滴をすることになってしまった。

当時の私は、「黄疸」というのが何のことか分からなかったが、血液製剤を使うことで蕁麻疹が出たり、抗体ができたりしていたので、何か自分に合わないものが入っていたのだろうなというぐらいのことは考えていた。

黄疸の症状は、そう長くは続かなかった。


歯科治療の方は、再出血をしないように、慎重に慎重を重ね、3分粥が出たのは止血してから一週間も経ってからだった。

重湯と三分がゆの違い、これはかなり大きかった。

ようやく「食べ物」が来たと思った。

おかずはまだペースト状のままだったが、わずかな米粒が入ったお粥はとても美味しく感じられた。


更に数日後に5分がゆ、全粥と進んでいき、おかずも少しずつ形のあるものになってきた。

全粥はその後一ヵ月ぐらい続けられた。


この時から、お粥という食べ物を、見たくもないほど嫌いになってしまった。


※黄疸の症状の原因は、おそらくB型肝炎か、C型肝炎に感染した症状だったと思う。

もしくはその両方に同時に感染したのかもしれない。

血液製剤と輸血の両方を使用したため感染源も定かではない。

血液製剤により、肝機能に障害を起こすことがあることは分かっていたし、私以外にも黄疸の症状をみせた友達もいたことは分かっていた。

ただ、自覚症状はまったくなかったので、当時の自分は爪の色が少しおかしい程度にしか病識はなかった。



#血友病#血液製剤#ベッドスクール#西多賀養護学校#西多賀病院#肝炎

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豪雪地帯の田舎に古い家を買い、うさぎとねこと暮らしています。 主な内容は、ウサギとネコの動画と、病気と付き合ってきた自分史になります。 動画は、Youtubeにアップロードした動画の紹介になります。 ※コメント欄はご自由にご利用ください。

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