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1979年~1982年(中学生)
夏休みで家に戻った私は、すぐに彼女に手紙を書いた。
私にとって女性と付き合うということは、結婚するということに繋がっていた。
中学生ぐらいで考えることではないと思われるかもしれないが、とても真剣にそう思ってた。
どうしても伝えなくてはいけないこと。
「血友病は遺伝する病気なので、自分は子どもをつくらないつもりだ」ということ。
付き合いも始めないうちから言うことなのかと思われるかも知れないが、私は必ず自分と付き合いたいという相手には同じことを一番最初に伝えてきた。
自分が傷つきたくないことはもちろんあったが、指導員から言われたように、相手にとって、「好きで好きでたまらない、そう思われる人間」になってしまった時に、実は自分はというのは、あまりにも卑怯だと思っていたということもある。
初めの手紙で、自分はこうだが付き合って欲しいと手紙を書いた。
彼女はとても喜んでくれて、付き合い始めるということでお互いが納得し、私たちは恋人同士になった。
彼女にとっての恋愛は、なにかパステルカラーの優しい光に包まれているようなものであったろうが、私にとっての恋愛は、自分が愛されて、結婚相手に選んでもらえるような人間になれるかの、戦いみたいなものであった。
毎週土曜日には、夕食が終わると、病院の長い廊下の途中にあった赤電話で、彼女の家に電話をかけることが習慣となっていた。
彼女は、私からの電話にいつもとても喜んでくれて、このまま時間が止まればいいのにと、いつも言っていた。
10月になると、養護学校と病院の共同で行われる文化祭があった。これは毎年の恒例行事で、年間行事の中でも一大イベントだった。
私は写真部だったので、教室に自分の撮影した写真を展示していた。
それを見てほしかったこともあるが、彼女が退院してから一度も会っていなかったので、とても会いたいと思っていた。
電話で待ち合わせの場所を確認し、同じことを手紙にも書いて会う約束をした。
文化祭の当日、私は待ち合わせ時間のだいぶ前から、約束の場所で待っていたが、彼女は現れなかった。
時間や場所を間違えたのかとおもってそわそわしたが、彼女が遅れてきたときに自分がいなかったらと思うと、その場所を離れることができなかった。
1時間も過ぎたころ、このまここに居てもても仕方がないと思い、病院中を探して回った。
部屋に戻って手紙も読み返したが、時間も場所も間違っていなかった。
何処にも彼女の姿はなく、その日は会えないままに終わってしまった。
私は、彼女が待ち合わせの時間や場所を間違えて、私を怒らせたのではないかと心配してるかもしれないと思い、怒っていないことと、次の通院の時会えたらいいねと書いて、次の日には手紙を送った。
しかし、それから何週間が過ぎても彼女からは返事がこなかった。
週末になり、電話もかけてみたが、電話には誰も出なかった。
私は、それでも手紙を書き続けていたし、電話も時々かけていた。
最初は、週末なので家族で外出しているのだろうと、その程度のことしか思わなかったが、2週続けて誰もいないということに不安を覚えた。
時間の流れの記憶が定かではないが、数ヵ月過ぎた頃、いつもの語呂合わせの番号で赤電話のダイヤルを回した。
「お掛けになった電話番号は、現在使われておりません」
番号を間違えたかと思って、何度もダイヤルをしてみたが、どんなに丁寧にダイヤルを回してみても、番号違いのアナウンスが繰り返されるだけだった。
私は彼女からの手紙を待つ以外に、何もしようがなかった。
そして、1年が過ぎても、2年が過ぎても手紙の返事が来ることはなかった。
私は、とても律儀な人間だった。
言い方を変えればただの馬鹿だったのかもしれない。
返事をよこさない相手に対して、数ヵ月おきに他愛もない手紙を書き続けていた。
必ず最後には、「無事なら返事を下さい」と書き添えた。
手紙は、送り先がなくなったり
引っ越しをして違う人が住み始めたりすれば、
宛先不明で必ず返ってくる。
それは、昔から、いろんな人と文通をしていたので、何度か経験して知っていたことであった。
手紙が帰って来ないということは、彼女の元に届いてはいるはずだと思っていたのだ。
読まずに捨てているのかも知れないが、何かの気まぐれで開いてみることもあるかもしれない。もしかしたら、私の病気のことで両親から反対されて、手紙を捨てられてしまっていたのかも知れないし、電話番号まで変えられてしまったのかも知れない。
もしかしたら、もしかしたら、、、
私は、彼女が私にくれた日記を何度も何度も読み返していた。
彼女の意思で、一言もなく私の前から姿を消すはずがない。
読み返せば読み返すほど、日記に書かれている彼女の想いが、
私の考えを頑ななものにしていった。
私は、彼女からの連絡が途絶えた後、何人かの人から告白を受け、ラブレターももらっていた。
そのたびに、自分には付き合っている人がいるので、受けられないと断り続けていた。
いつのことだったか、1学年上の女子で彼女と同じ側彎症で入院していた人がいて、その人から、「あんたお嬢さん学校の白百合の子と付き合ってるんだってね、隅に置けないな~」と言われたことがあった。
私は彼女が通っていた中学の名前は知っていたが、そう言われるほど、その中学の何がすごいのかは全く分かっていなかった。
なんでこの人が俺の彼女のことを知っているのかと、不思議に思ったことがあった。
何十年も経ってからふと思い出し、調べてみたことがあったのだが、カトリックの学校で幼稚園から高校まで、エスカレーター式の私立学校だった。つまり、裕福な家の人だったということだ。
書き続けていた手紙は、一度も宛先不明で戻ってくることはなかった。
考えても考えても、なぜ彼女から返事が来ないのか、わかるはずもなかった。
そして中学を卒業するまでの間
私にとっての恋人は、
手も握ったこともなく、付き合い始めてから一度も逢ったこともなく
1年生の秋から音信不通となってしまった彼女一人だった。
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