病気と私 9

誤字脱字を含め本文のおかしなところは、随時修正していくつもりです。

お気づきの点などありましたら、どうかコメント欄で教えてください。

よろしくお願いします。


1976年~1977年

(小学校4年生~5年生)

----- 宮城県立西多賀養護学校 校舎完成 -----

「1976年8月に西多賀養護学校の新校舎への通学が始まる」

https://nishitaga.myswan.ed.jp/history/20th

という記事があるので、怪我をして夏休みを病院で過ごした後、そのまま新校舎へ通学を始めたことになる。

新しい校舎ができて、その時みんなで通路を渡って登校した時のことはよく覚えている。

ただ、私の記憶では5年生の時だった・・・ような気がしていた・・・


上記記事のサイトに載っている登校時の右側の写真のどこかには、私も映っているはずである。拡大してみても自分がどこにいるのかまでは分からなかったが、写真の中に当時の同級生が映っているのははっきりとわかるので、懐かしくて不思議な気分になった。


新校舎は、障害を持つ人にとって最高の設備を持った学校だった。

非常時の避難設備には、ステンレス張りの滑り台が設置されて、非常口からその滑り台で、1階まで滑り落ちることができる。

それと、高層ホテルの火災発生時などに使われる、筒状の避難設備だ。

一度だけ避難訓練で使ったことがあるが、3階から一気に1階まで筒の中を滑り落ちていくので、どんなにか楽しいだろうと思って期待していたが、自分の番がまわってきて、中に入れられると、シューっとあっという間に下まで到着してしまい、楽しんでいられるような時間は全然なかった。

楽しんでいる暇もなかったということは、それだけ非常用としては優れていたということだろう。


もうひとつ印象的だったのは視聴覚室だ。

暗幕が電動で開け閉めされ、黒板も2段になっていて電動で上下し、さらには巨大なスクリーンが上から降りてきて、映写機で映像を映せるようになっていた。


この学校は、車いすで移動できない場所がまったくない構造になっており、車すだけでなく、ストレッチャーまでもが、教室の中で自由に移動できるようになっていた。

1クラスが8人程度だったと思うので、先生の数も生徒数に対してはとても多かったと思う。


新校舎に通うようになってからは、筋ジストロフィー症の人たちとも同じクラスになった。

これは、私にとってはとても大きなことで、私は頭は悪かったが、身の回りの面倒をみてやることはできた。

(言いかたはかなり失礼なのだが当時の私の感覚では、すごくいいことをやっている気になっていた)

病院のスタッフがいい加減にやったことをやり直すのだ。

例えば、靴下のかかとは、よくずれたままになっていたので、毎朝登校してきたらすぐに直すってことをしていた。

洋服の袖も、ズボンのおしりの中心も、ずれていたり、ねじれていたりしているのは許せなかったので、いつも気にして直していた。

なにか、見ているだけで、不快な感じが伝わってきた。

もしかしたら本人以上に見ている私の方が気持ち悪かったのかもしれない。

それと、特に気になっていたのは、メガネの汚れ。それじゃ見えないだろうというほどにメガネがいつも汚れていて、しょっちゅうタオルで綺麗にしていた。

それもそのはずだ、筋力が落ちているので、両肘を浮かすことはできない状態だ。レンズを指で挟まなければ自分でメガネをかけることができなかったからだ。

それでも、いつも誰かにメガネをかけてもらえるわけではないので、私が綺麗にして着けてやっても、いつの間にかまた汚れているのだ。

そして、あまりい所がない私に「面倒見だけはいい」という、ちょっとありがたい評価が付くようになった。


メガネの友達の話になるが、その子とは中学を卒業するまでの間、何度も同じクラスになった。中学3年生の時も同じクラスだった。長く一緒にいたせいか、すっかり慣れてしまい、余計なお世話ばかりしていた。

(というのも、何かしてくれと口に出して言う子ではなかったのだ)


中学卒業で私は退院してしまったのでその後のことはどうしていたのか分からないが、高校何年生の時だったか、「生前は大変お世話になりました」と母親から手書きの手紙をもらったことを思い出す。

学校の先生ならともかく、私が面倒をみていたことを親が知っていたことにとても驚いた。手紙に書かれていたことだが、学校の先生からの連絡票で小学校の時から私のことは知っていたそうだ。

手紙を読み終わった後、何かを失ってしまったような、取り返しのつかないことをしてしまったような、そんな訳の分からない思いが私の中に残った。


今となっては、筋ジストロフィー症の友達は一人しかいない。

毎年一回は西多賀病院まで顔を見に行くようにしていたが、風邪をうつすわけにはいかないし、インフルエンザなども怖いので、行くときにはとても気を使うが、今年はそれどころではなさそうだと思っている。

会うたびに、お互いにまだ生きていたなと言い合っている。

そしてあいつだけは、どんなことになっても、生きていてもらいたい。そう思っている。


#血友病#血液製剤#ベッドスクール#西多賀養護学校#西多賀病院

Youtubeチャンネル

ツイッター

アメーバ

HomePage WIX(広告ありTest版)

LABORATORY 夢紡


#上越#田舎暮らし

うさねこまったり

豪雪地帯の田舎に古い家を買い、うさぎとねこと暮らしています。 主な内容は、ウサギとネコの動画と、病気と付き合ってきた自分史になります。 動画は、Youtubeにアップロードした動画の紹介になります。 ※コメント欄はご自由にご利用ください。

0コメント

  • 1000 / 1000