病気と私 8

----- ちょっと休憩 -----

病気のことではなく兄のお話です。


私は兄が大好きだった。


最初に魚釣りに連れて行ってくれたのも兄だ。

病弱で運動ができない私にも何かやらせてやれるものがないか考えていて、釣りを思いついたらしい。

中学生だった兄の自転車にのせられて、山の中にある池に釣りに行ったことがある。

魚が釣れたのかどうか覚えていないのだが、釣りをしていたら急に雷がなって、ものすごい夕立になった。

雨が静かになってきたころ、祖母が傘を二つ持ってびしょ濡れになりながら、半泣きのような状態になって池まで迎えに来た。兄と二人で驚いたことがあった。

これが私の人生最初の釣りの記憶だ。

兄は、時々私に勉強を教えてくれた。

私は頭が悪かったので、それこそ何が分からないのかも分からないような状態であったが、二桁以上の掛け算の仕方を教えてもらった記憶がある。

かならず、端数をここに書いておけとか、九九が分からなくなったら同じ数字を足してみろとか、学校では教えてくれないようなことを教えてくれて、「学校ではそんなふうにやれとは言われていない」というと、「とにかく俺の言うとおりにやれ、それで絶対に大丈夫だ」といつも言っていた。

そして、言われた通りにやったことは、学校で同じことをやっても、先生には何も言われなかったし、ちゃんと計算ができるようになっていた。


ラジカセを買ってもらったことがある。

今でも実家の物置においてある。

ナショナル製の大18㎝/小3㎝の二つのスピーカーが付いた大きなラジカセだった。

病院では、私が買ってもらったようなラジカセを持っている子はいなくて、なんだかすごく自慢だった。

ある時私は、その大切なラジカセをベッドから落としてしまった。

ラジカセは、ケースが少しずれてしまい、ボリュームのつまみが動かせなくなってしまった。つまみを動かすためには、歯で噛んで回すなど、けっこうな力を入れないと無理だった。そのせいで、ボリュームのつまみはすぐに私の噛み跡だらけになった。

何とか直らないかと思って、浮いてしまっていたケースの角を、金槌で叩いてみたりしたのだが、傷はついても、状態が変わることはなかった。

直りもしないのに、自分で叩いてかなり目立つ傷をつけてしまったことがとても悲しかった。

私は、またしても失敗してしまったのだ。

何ヵ月も過ぎてから、そのラジカセを見た父は「せっかくあんちゃんに買ってもらったのに、落として壊して、こんな角まで叩いて傷つけて、こんなことしたって直るわけないだろう」と言わた。また、ものすごくがっかりした。

やってしまったことを、ラジカセを見るたびに思って後悔しているのに、それを言われたことがすごく悔しかった。

ラジカセを落としてから一年ぐらいが過ぎた頃だったろうか。

車いすで散歩しながらラジオを聞いていたら、隣の部屋の上級生(Sくん)と散歩道で会った。すると、ケースがずれているのが気になったらしく、ちょっと見せてみろと言われ、持っていたラジカセを渡すと、直せるかもしれないと言われて、その人の病室までついていきやってもらうことにした。

Sくんはドライバーセットを出して分解を始めた。

更に壊れてしまうのではないかとものすごく不安になったが、あっというまにずれたところをきっちりとはめ込んで、すっかり直してしまった。もちろんボリュームも普通に動くようになったのだ。一年ぶりに普通に動かせるようになったボリュームは、とても快適に思えた。

感謝感激でお礼を言って受け取った。そしてSくんを疑ってしまったことを申し訳なく思った。

感激したことこの上なかったが、その結果、叩いて傷つけてしまった部分が、すごく可愛そうに思えて、なんてことをしてしまったんだろうと、また反省することになった。

Sくんの病室には、私と同じ病気の人がSくんを含め3人いた。3人とも二つ上の上級生で、私のラジカセを直してくれたのは、その中で、顔と口調が一番怖かった人だった。(他の二人の上級生とは時々話をしたりしたことがあったが、S君だけはとても怖い人だと思っていたので、一度も自分から声をかけたことはなかった)

中学卒業とともに退院していったが、その後、大人になってから同じ病室に入院することがあった。偶然とは言いたくはないが、具合が悪くなった部位も状態もほぼ同じだった。Sくんは就職して働いていたが、関節の状態がかなり悪くなり先生から入院治療を受けないとダメだと言われて、不本意ながら長期の入院生活を送ることになってしまっていた。

私は、学生だったので長期で休むと単位不足で卒業できなくなってしまうため、病状は同じでも、私の方が先に退院することになった。後に詳しく書こうと思うが、股関節の関節症が進行し、軟骨がなくなってしまっていたのだ。

Sくんは病室に入った私を見るなり「だっぱいか?」と声をかけてきた。「そうです^^」と答えると「懐かしいなぁ~」と気さくに話を始めてくれた。

すぐにラジカセを直してもらった時のことを話した。すごく嬉しかったということ。

当時思っていた「すごく怖い人」とは全然違っていて、面倒見のいい優しい人だった。(アイパーをきっちりかけて、ソリも少し入って顔は相変わらず怖かったが)


かなり脱線してしまった。


兄からは、それ以外にも、ウォークマンとか、ヘッドフォンとか、革製のブーツとか・・・

私なんかにはもったいないような物ばかり沢山買ってもらった。

洋服のお下がりをもらうのもすごく嬉しかった。

初めてマクドナルドのハンバーガーを買ってきてくれたのも兄だったし、ケンタッキー・フライド・チキンを買ってきてくれたのも兄だった。

どちらも、当時はあまりの美味しさに、家族みんなで大喜びして食べた記憶がある。

熱いごはんの食べ方を教えてくれたのも兄、ラーメンのすすり方を教えてくれたのも兄、兄は世の中のあらゆる新しいものを家の中にもってきてくれたのだ。

ダメな私とは対照的に、健康で体力もあり、勉強もできて責任感が強く家族みんなから信頼されていたのだ。


あんちゃんは、いつも俺の味方で、俺の理想だ、あんちゃんを追いかけて追いかけまわして、ここまで生きてきた。きっとこれからも、



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うさねこまったり

豪雪地帯の田舎に古い家を買い、うさぎとねこと暮らしています。 主な内容は、ウサギとネコの動画と、病気と付き合ってきた自分史になります。 動画は、Youtubeにアップロードした動画の紹介になります。 ※コメント欄はご自由にご利用ください。

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